学びの日々
2014年 08月 28日
まるでその使命が与えられたかのように
今年は、看護学会での発表にお声をかけていただいています。
6月には、精神保健看護学会での「心のケアのためのヒーリングタッチ」と題して
東日本大震災の時のケアについての実践体験談を・・・・。
そして、この8月26日には、日本看護学教育学会で「看護教育に生かすヒーリングタッチ」~癒しの技法の看護への導入を目指して~ に参加させていただきました。
ここでは、単なるテクニックだけではなく、いかに心やセルフケアを実践しながら
自分が成長していく過程をお話ししました。
自分のことを大勢の方の前で、お話しするのはちょっとこそばゆかったのですが
自分でもこの6年間の学びを大いに感じとっていましたので
また改めて振り返るチャンスをいただけた思いで有難かったと思っています。

私のお話した内容を自分の記録のためにここに記します。
「ヒーリングタッチとの出会い」
私のヒーリングタッチとの出会いは、2008年春のヒーリングタッチ紹介セミナーでした。その時、私の今まで探し求めていた「何か」と出会った瞬間でした。それは、会社員時代に急にベッドから起き上がることができなくなり、その後、杖をつきながらやっと歩ける状態でリハビリに通うも、担当の方が、プログラムの用紙ばかりみて、私の顔もみないで動作の指示をされていたことがとってもショックでした。そんな自らの病気体験から、何か違うと思い続けていた私に、心に響くものがありました。それは、身体そのものの対処療法だけではなく、心や感情、そして魂の滞りを取り除くという全人的な癒しが必要であるということ。そして、道具も何もいらない、思いやりの気持ちがあれば、誰にでもできるということでした。また、更に心を動かされたのは、その時一緒にヘルパーとして参加されていた、10年以上もアメリカのホスピスで実際にボランティア活動をされている方の実例をもとにした体験談でした。

「エゴと向き合うこと」
その後、早速、ホスピスのボランティア講習を受けました。ガン末期患者へのアロママッサージ、患者さんとの話し相手やお茶サービスなどの活動を続けているうちに、自分のエゴとも向き合うことができました。そして、自分の病気の時にも考えた、何のために生きているのか、何をしたいのか、ということと、癒しとは何か、無条件の愛とはどういうことなのか?など真剣に考えることができました。
それは、いつお会いできなくなるかもしれない患者さんの足に、アロママッサージを行うのですが、やさしく触れても、指の跡がついてしまうくらい、パンパンにむくんだ方や、逆に骨と皮の状態の方など最初は、触れても大丈夫なのかという戸惑いもありました。そんな時にヒーリングタッチで学んだ手法が大変役に立ちました。ある日、80代の女性の方にアロママッサージを行っている時、大きな独り言のようなつぶやきが聴こえてきました。「私はね、生きたくても生きられないし、ましてや自分から死ぬこともできないの・・・。」という時にも、私はそっと寄り添いながら、ただただ、静かにまるで祈りのように手を触れていることしかできませんでした。そして、その日の帰り道に私が思ったこと。それは、
死について考えると、生と向き合えること。
健康について考えると、しあわせと向き合えること。
他人のしあわせを考えると、自分のしあわせを感じること。
そして、何よりも自分が優しい気持ちになれることでした。
「6年間の成長」
ヒーリングタッチを学び始めて、この6年の間に成長したと思える点は、
会社員時代には、自分の部下に対して厳しい私でしたが、人の痛みが分かるようになったこと。と同時に、相手に対する思いやりの気持ちが芽生えたこと。
自分の身内がガンになった時にも、家族がパニックになっていても、今までとは違って受け止めることができるようになり、動揺しなくなったこと。
そして、この6年間ずっと、毎朝、グランディング・センタリング・セルフチャクラコネクション、ラジオ体操、そして瞑想を続けることによって、こんなにも心身ともに健康になったこと。穏やかな気持ちで生活できること。
特に、感情面での怒りやイライラ、不平不満がずいぶん少なくなったことに気づきます。逆に、愛と許し、そして感謝する気持ちを感じることが多くなったように思います。なによりも、何か障害があると、それを学びだと思えるようになったことが、大きな成長かと思っています。
これからも、日々セルフケアを続けることで、まず自分が健康であり癒されることで、他人に癒しを提供できる人になりたいと思っています。
感謝
みんなのしあわせがわたしのしあわせ
はぁ~とcafe💙appy

by appyhappy | 2014-08-28 16:16 | セミナー